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アンドレ・ウォードとノニト・ドネア:王者達の絆

2013年4月15日
共通の恩師を囲むドネアとウォード

共通の恩師を囲むドネアとウォード

カリフォルニアの少年アンドレは10歳の時初めてリングに上がりスパーリングに挑んだ。相手は5つも年上の少年で、名をグレンといった。そこでアンドレはボコボコにやられボクシングの恐ろしさを知ることになる。かつてモハメド・アリは蝶のように舞い蜂のように刺すと恐れられたが、10歳のアンドレはチーターのように逃げ回り亀のように丸まるボクサーだった。

「次からは逃げる前に一発打とうと決めた。それができるようになったら二発打つようにした。それが僕の始まりだったんだ」 少年は後にオリンピック金メダルを獲得し、プロの世界でも王者に輝く。アンドレ・ウォード、それが彼のフルネームだ。

グレンには弟がいた。アンドレより1歳年上のノニトがジムに入門したのはアンドレより3ヶ月あとのことだった。13年後ノニト・ドネアはIBF世界フライ級王者となる。

ジムオーナーにして彼らの恩師であるジョー・オリバレス氏はこう語る。「アンドレは昔気質の、いつでもシリアスな子供だった。逆にノニトはコメディアンだったんだ。彼らの共通点はリングでの動きがとても滑らかだってことと、ハードワークを欠かさなかったってことさ」

現在もウォードのトレーナーを務めるヴァージル・ハンターが彼らに出会ったのもこの頃だ。ハンターによれば「ノニトも含めて、他の子供達はアンドレのことを“パパ”と呼んだ」のだそうだ。「彼はそういう子供だった。他のどの子供よりも物事を深く考える少年だったんだ。一方でノニトはあまり真剣になるタイプでなかったけれど、上達することをとても楽しんでいた。そのことに関してだけはすごく真剣だったんだ」

少年時代は最年長のグレンがいつもウォードを打ち負かしていた。しかしウォードはノニトの中にグレンとは異なる才能を見つけていた。「グレンはパワーパンチャーだ。彼は相手を追い掛け回して頭をぶん殴ろうする。ノニトもやっぱり相手の頭を狙っていた。ただしもっと優雅な方法でね。彼は本来間違っていることを正しくやってしまう奴だった。とても変則で、雷のように速かった。誰もができないと思うことをやってのける奴だったのさ」

しかしそんなノニトはプロになろうとは考えていなかった。彼がプロになったのはむしろ元ボクサーだった父親の意思だ。ノニトは父親を悲しませないためにプロ入りしたが、練習中もずっと無気力だったという。ノニトは当時を振り返り、「リングに上がる時は古代ローマの死刑囚が闘技場に連れて行かれるような気分になることもあった」とさえ語る。彼にとってプロボクサーとしての人生には何の楽しみもなかった。

ノニトはプロ二戦目で敗北を喫する。「ちゃんとやれば勝てる相手だということはわかっていた。だけどもうボクシングのことはどうでも良かったんだ」 その時リングの外から家族や友人たちが彼に向けた失望の眼差しをノニトは忘れていない。「そして僕はボクシングをやめた」 当時彼はまだ18歳の、普通のティーンエイジャーだった。

“パパ”ウォードはそんな友人の姿をずっと見ていた。自分の車にノニトを乗せたある日、ウォードは言葉をかけた。それはこんな言葉だったそうだ。「今のお前は俺が知っているお前じゃない。神様がお前に生を与えたのはボクシングのためだけじゃないかもしれないけど、お前はまだボクシングでやるべきことをたくさん残しているはずだ。しゃきっとしろ、立ち上がれ、そして諦めるな」 ウォードにとってはそうすることが義務のようなものだった。「それが友が友であるということさ。僕は友としてそうしたし、逆の立場だったらきっと彼もそうしただろうって思うんだ」

「すごい衝撃だったよ」とノニトは語る。そうして彼はリングに戻って行った。

ちなみに当時ウォードの他にもう一人、ノニトの支えになったロバートというアマ時代からの友人がいる。「俺とアンドレが駆け上がっていくことがあいつに刺激を与えたんだ。きっと自分にも出来るって信じさせることができたんだよ」 そのロバートは来月PFP王者のフロイド・メイウェザーに挑戦する。

2007年、とうとうノニト・ドネアが世界にその名を轟かせる日がやってきた。世界タイトルマッチという大舞台、相手は一年前兄グレンを倒した男、“怒れる猛牛”ビック・ダルチニャンである。ノニトはこの強敵をまさしく閃光のようなレフトフック一撃で沈めた。「ジャブを活かして勝てるとは思っていた。だけど僕はもっと大きなものを証明したかったんだ」 この試合はリングマガジンの“アップセットオブザイヤー”“ノックアウトオブザイヤー”に選ばれている。

かつてウォードがノニトを刺激したように、ウォードもまたノニトの大きな勝利に刺激された。彼は親友の勝利を見届けたその日の夜にジムに走り汗を流したという。「ノニトにはいつだって偉大なファイターになるポテンシャルがあった。彼が勝ち上がっていくのを見ていると力が湧いてくるんだ。ダルチニャン戦の勝利は僕にとってもすごく大きなことだった。共に育った男にできることなら僕にだってできるはずさ」 アンドレ・ウォードが世界王者に輝いたのはそれから二年後のことである。

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2013年4月13日、ドネアは最強の敵ギジェルモ・リゴンドーに敗れた。その試合をウォードもまたリングサイドから見守っていた。ただし最近お馴染みになっていたHBOの解説者としてではなく、一人の友人として。

「そりゃあノニトが負けたのは残念だよ。だけどリゴンドーには敬意を表さないといけない。彼はやるべきことをやった。ボクシングをやっていれば負ける時もある。特にノニトの様にベストな相手と戦い続けていればね。彼は決して他の誰かのおかげでスターになったわけじゃない。自分の力で、ベストな相手と戦い続けることでスターになったんだ。そしてベストな相手と戦えばこういうことは起こるものなんだ」

「あえて言うなら、頭狙いを止めてリゴンドーの胸を狙えばよかったかもしれない。リゴンドーはすごく低い姿勢だったからね。ノニトはたくさんのKOを積み重ねてきた。それはすごくエキサイティングだったけど、KOは狙っちゃいけないんだ。狙えば時として手数が少なくなってしまう。そしてジャッジは考えるだろう。『うーん、このラウンドはあっちの勝ちだな』ってね」

ウォードは採点に関してはわからないと話した。いち友人を応援していた以上、公正な視点では見れていないからだ。

この日のドネアの敗北はウォードにとってもショッキングなものだっただろう。それでも彼らはきっとまたリングで元気な姿を見せてくれるはずだ。戦前ドネアはこう話した。「僕らは兄弟のようなものだ。彼といるともっと強くなりたいって思えるんだ」 ウォードは言う。「彼は僕の試合に来てくれる。わざわざ僕をサポートしに来てくれるし、僕も同じ事をする。それはとても大事なことなのさ」

 

 

出典:

http://www.undisputedboxinggym.com/index.php/club-news/undisputed-press/41-andre-ward-nonito-donaires-path-to-greatness

http://sports.yahoo.com/news/donaire-ward-friends-fight-195900419–box.html

https://en.wikipedia.org/wiki/Nonito_Donaire

http://www.boxingscene.com/andre-ward-gives-full-review-donaire-rigondeaux–64426

http://ringtv.craveonline.com/blog/178293-working-bradley-ward-break-down-rigondeaux-donaire

http://www.livefight.com/news.php?news_id=1283&y=2011&m=02

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From → エピソード

2件のコメント
  1. 匿名 permalink

    記事の翻訳の場合、引用元をちゃんとかいたほうがいいですよ。

    • 確かにそうですね。
      この記事の場合は特定の記事をそのまま訳したのではなく、複数の記事から内容を抽出した上で自分の文章を加えて再構成したものです。なので厳密にはこれが元記事だと一つ示せるわけではありません。
      しかし大きな部分を占めている引用元については出典を明記することにします。

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